学校法人鎮西学院 創立135年記念事業 鎮西学院資料館整備計画


東山手時代の校舎

長崎原爆の爆心地近くで校舎が被曝した歴史を持つ学校法人鎮西学院では、2016年の創立135周年に向け、学校の歩みを紹介する資料館の整備を計画しております。

教科書や制服などを幅広く展示する計画ですが、焼失した資料も多いため、犠牲者発掘の手掛かりとなる当時の学籍簿や写真などの提供を広く呼びかけております。

鎮西学院の前身は1881年に長崎市に開校した加伯利(カブリー)英和学校。旧制中学の鎮西学院に改称した後、1930年代に現在の長崎市宝栄町に校舎を構えておりました。
1945年8月9日、北東およそ500メートルの上空で原爆が炸裂し、鉄筋コンクリート4階建ての校舎は高熱と爆風で4階がほぼ崩壊、3階は北東側が粉々になりました。
翌年の1946年(昭和21年)03月に諫早市永昌町海軍病院跡に移り、現在の幼稚園、高等学校、大学を運営する鎮西学院へと至りました。

原爆を受けた校舎

校内にあった学籍簿が消失し、原爆の犠牲者は戦後長く明らかになりませんでしたが、当時の在校生らが1991年と2007年に調査を行い、集合写真や記憶を頼りに、1945年12月までに亡くなった生徒と教職員140人が判明いたしました。

2009年に原爆死没者の名前を刻んだ慰霊碑を建てた後も、二人の犠牲者が判明しております。

学籍簿や写真をはじめとする、当時の学校生活が伝わる遺品などを探しております。
新たな資料が見つかれば、消息の確認が進む可能性があり、被曝の歴史継承にも役立てることができると考えておりますので、情報をお持ちの方は以下問合せ先までご連絡いただければ幸いです。


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学校法人鎮西学院 広報戦略室 0957-26-8200