鎮西学院大学 学長就任の言葉 姜尚中

2021年04月01日

鎮西学院は今年で創立から140周年を迎えることになります。学院は、1881年、米国メソジスト教会から派遣されたC・S・ロング博士によって長崎市内の東山手に創立された加伯利英和学校(カブリーセミナリー)を母体として発足しました。1881年は明治14年にあたります。近代日本のその後の国家としての歩みを大きく左右することになる「明治14年の政変」が起きた年でもあり、学院はそうした歴史の転換期に長崎に産声を上げ、近代日本の歩みと重なる星霜を閲してきました。そして学院創立120周年(2002年)にして短期大学を改組して長崎ウエスレヤン大学が開学しました。
この間、原爆投下という人類史の中でも戦慄すべき惨禍で多くの教職員、学生を亡くし、それでも聖書の「エクソダス」(出エジプト記)の来歴を現代になぞるように、学院は新たな再生の地、県央の諫早で見事に蘇り、今日に至っています。学院の140年には、血と汗と涙と、そして神とともにあることの歓喜の歴史が刻み込まれ、綺羅星のように輝く傑出した逸材たちがその歴史の一コマを形作ってきたのです。そして今、日本と世界は、あの「明治14年」の転換期や戦後の激変期に勝るとも劣らない大きな転換期を迎えようとしています。新型コロナウイスのパンデミックはそれを促す巨大なトリガー(引き金)になるのではないかと思います。それは、一言で言えば、無限の成長や人口の増大、生産力の増強や飽くなき効率化の追求、一面的な能力の序列化や科学技術に対する楽観的な信仰などが篩にかけられ、それらを貫く価値が相対化されるとともに、自然や環境との共生や多様性の尊重、多極分散型の地域経済の賦活や中規模技術の再評価など、いわゆるSDGs(持続可能な開発目標)に含まれる諸価値がポスト近代のあるべき目標として推奨されることになったのです。「敬天愛人」をモットーに、人智を超えたものへの畏敬の念とともに、神によって創造された生きとし生けるものへの愛を学びと働きを通じて実践してきた学院は、SDGsに謳われる平和構築に向けて普段に努力を重ねてきた「平和の使徒」でもあります。学院は、ことさらSDGsの新たな価値を挙げなくても、既にその歴史の中でそれらを実践し、今日に至っているのです。その意味で、学院は、時代のフロントランナーであり、その輝きが発揮される「時」がきたのだと思います。
大学は、その輝きをあまねく、地域の中に、長崎県の中に、九州に、日本列島に、さらにアジアに、世界に広げ、地域貢献型大学として、またそれを通じたグローカル(グローバル+ローカル)な知的・人的拠点へと脱皮すべく、学院創立140周年とともに鎮西学院大学として蘇り、その初代の学長に私が就任することになった次第です。校名変更は単なる看板のすげ替えではありません。あえて言えば、どんな困難な時代にも微動だにせず、そのミッションに徹してきた学院だからこそ、大脱皮価値の転換に即応して変わりうる潜在的な能力を備えているのです。鎮西学院大学は、先に述べたようなSDGsに具体化されている目標や価値を自らのサバイバルの根幹に据える深い強靭な知性の習得とともに、福祉や教育、行政や地域経済、サービスなどの現場で活かせる専門的な知識と実践的な処方箋の学びの機会を提供してまいります。学生一人ひとりが、卒業後も社会人として独り立ちしていける機会を確実に保証し、誰もが安心して学べる環境を整備してゆきます。特に、コロナ禍で対面とリモートでの「混合学習」が不可避となりつつある中、学院大学はリモート環境をより充実し、感染防止策の上に可能な限り対面授業や実習に重きを置くカリキュラムを準備し、みなさん一人ひとりの不安や懸念に対処できる仕組みと人的資源を配する所存です。混沌とした不確実な時代、そして激流のように変化する時代、誰もが自分の進路について立ち止まり、迷わずにはいられません。そんな時代だからこそ、140年の歳月の厚みに支えられ、有為な人々を輩出し、不動のミッションがあるからこそ、時代の変化に柔軟に変わりうる我が鎮西学院大学で、私とともにキャンパイライフを謳歌しましょう。