鎮西学院沿革年表史

長崎ウエスレヤン大学沿革
1881年10月
(明治14年)
本学の前身、加伯利(カブリー)英和学校を長崎市東山手6番地に創設。
創設者・神学博士C.S.ロング氏、初代校長となる。
1889年09月
(明治22年)
校名を鎮西学館と改称。つづいて学則を改めて、予科を5ヵ年制の中学部、高等科を3ヵ年制の高等学校とする。
1899年11月
(明治32年)
文部省訓令12号【ミッションスクールの根幹をなすキリスト教教育を禁止する】が発布され困難の中にあったが、私立学校令により設立認可を受ける。
1906年05月
(明治39年)
私立鎮西学院と改称。
1906年11月
(明治41年)
校舎(E字型レンガ2階建て)新築落成。
1908年04月
(明治41年)
文部省告示134号を以て専門学校入学者検定第1号により文部大臣の指定を受け、学校経営が文部省の定める日本の教育系統に入り、本学院の面目一新する。
1930年01月
(昭和5年)
新校舎竣工につき東山手の校舎を去り、竹の久保に移転する。
1945年08月
(昭和20年)
原子爆弾の投下により校舎壊滅し、職員9名、生徒132名が犠牲となる。
1946年03月
(昭和21年)
諫早市永昌町海軍病院跡に移り開校。
1947年04月
(昭和22年)
鎮西学院中学校(新設)
1948年04月
(昭和23年)
鎮西学院高等学校(新設)
1951年04月
(昭和26年)
中井が原の旧ゴルフ場跡地を購入し、移転する。
(1949年寄宿舎、1951年高校校舎、1952年中学校校舎、1953年体育館)
1955年04月
(昭和30年)
鎮西学院幼稚園設置。
1962年01月
(昭和37年)
創立80周年に講堂が落成し、創立80周年記念式典と講堂の献堂式を行う。
1966年03月
(昭和41年)
新制鎮西学院中学校を閉校。
1966年04月
(昭和41年)
鎮西学院短期大学(英語科)を設置。翌年、教養科を増設。
1980年04月
(昭和55年)
鎮西学院短期大学を長崎ウエスレヤン短期大学と改称する。
1981年10月
(昭和56年)
創立100周年を迎える。
1983年09月
(昭和58年)
100周年記念館落成する。
1991年10月
(平成3年)
創立110周年を迎える。1988年より3ヶ月に亘り、高校校舎、体育館、新ロング寮を完成させる。110周年記念写真集発行。
1996年04月
(平成8年)
短期大学創立30周年を迎える。
2002年04月
(平成14年)
長崎ウエスレヤン大学開学。(短期大学を改組転換)
2005年04月
(平成17年)
鎮西学院幼稚園創立50周年を迎える。
2005年04月
(平成17年)
大学は社会福祉学科、地域づくり学科、国際交流学科の3学科に改組。
2005年08月
(平成17年)
鎮西学院被曝60年平和記念事業として、平和の鐘の建立、平和宣言の碑の建立、長崎から諫早までの平和大行進を行う。
2006年10月
(平成18年)
創立125周年を迎える。
2009年08月
(平成21年)
長崎原爆特集「あの日 僕らの夢が消えた」~被曝学校 生徒たちの64年~ NHK総合で全国放映。
2009年08月
(平成21年)
原爆死没者慰霊碑建立、除幕式を行う。
2010年04月
(平成22年)
長崎ウエスレヤン大学に経済政策学科を新設。
2011年04月
(平成23年)
長崎ウエスレヤン大学国際交流学科を外国語学科に名称変更。
2011年10月
(平成23年)
創立130周年記念事業として、旧制中学校原爆投下当時在校生名簿・被曝記録誌「あの日 僕らの夢が消えた」発刊。